“生き方を決める”難しさ

“生き方を決める”とは、皆様どういったことかピンと来るだろうか。

今回は少々、社会的な内容を含めた真面目で大切な内容を書きたいを思っている。

そして何故そんなことを聞くのか?今から申し上げる。

具体的に何か?というと、

“生き方を決めなければならない”とは、

“自分の軸”を持つということ。

私達が成人になり、社会に出、一人前になる際に“この人はこういう人”ということを世の中に認識して頂かなければいけない。

その為に、生き方を決めなればいけない。

そうせねば社会的信用をなくしてしまうから。これは致命的なことである。

重ね重ねで申し訳ないが、“生き方を決める”― 本当に難しいことで重要なことなので、特に若い方、意識して頂きたい。

かくいう私筆者も、大変苦労した。

社会の波に揉まれながら、形成していって頂きたい。

しかし、人生はいつでも、何回でも、やり直せる。

絶対に諦めず、前に進んで頂きたい。

自然の流れに身を任せて


“自然体で生きる”

これが実にベストな生き方か、と。

例えば、時の流れを一本の川で表すと、その川の流れに身を任せ。

心は常にニュートラルに。

何か障害物が来れば、その都度しかるべき対応をする。

元々人は、自然の中で生きてきた動物である。

そう“ 自然の流れに身を任せる ”

そうすれば、成るように成るだろう。

―“しだれ柳”―。

しだれ柳のように、肩の力を抜き、柔軟ではあるが本当の芯の部分はしっかりしている。

皆様どうだろうか。

これが筆者の理想の人生観である。

バランスの重要性

実に世の中、様々なところで“バランス”が上手く取れている。

それで、世の中成り立っているわけだが、

言い換えるとあらゆるものが“表裏一体”であるということである。

そうすると、世の中に完璧なものはない、ということになる。

しかしだからこそ、世の中“公平”であり続けられる。

いやはや、誰かがこのような規則を作ったわけでもないのに、世の中上手くできているものである。

「科学では説明できない、“神的な、霊的な”力は確かに存在する」

一番怖いのは人間

人間は、怖い。

何が怖いか、というと“人間の脳”。

洗脳次第でどうにでも動くようになるから。

例えば、現代といえばインターネットの時代である。

故に人間の脳はまさにインターネットに“支配”されつつある。

確かに世の中便利にはなったが、しかし果たしてこれが良い事なのかというと、甚だ疑問ではある。

脳の“使い方”によっては、偉人になったり、大犯罪者になったり・・・

(勿論、極々平凡な人生を送る方もいるだろうが)

我々人間は脳から指示された思考回路に従って動いている。

それ故に、その思考回路次第で命令通りに動作する。

この思考回路が良い方向になるように指令を出せば御の字だということ。

つまり私達が作り出せるであろう素晴らしい未来、その可能性はいくらでもあるということだ。

書いているうちにタイトルを改めたくなった・・・

「我々人間は“凄い”と言うべきだった」

プロローグ

はじめまして、Harumakiと申す者である。

突然だが皆様、いかがお過ごしだろうか。

今やデジタル技術の発展により、スマホやインターネットを始め、実に便利で様々なものが溢れる昨今である。

が、私筆者はそんな中、ある一つの懸念を持っている。

私達人間の“感性”がが失われていくのでないだろうか、と。

“感覚”とか“センス”等という言葉で表される。

確かに世の中便利にはなった。

しかし、私達人間の脳みそがこの恐るべしデジタル技術の電波に洗脳されてしまい、将来、人間が人間でなくなり・・・

つまり、“ロボット化”してしまうのではないか。

実におぞましいことである。

そこで筆者は、私達人間の“感性”を基にしたブログを皆様にお伝え致したく思った。

さて、じゃあその感性で何をするのか?

この“感性”を使って、人生に役立つことを掘り起こしてみようと思うのである。

例に、私筆者の感性を使って試してみたいと思うのだ。

同時に、私自身の感性の研磨もさせて頂きたく思う。

少々長くなったが、兎にも角にも皆様、“感性”を基に、当ブログの内容は拘った内容となっており、

そして何か少しでも、少しでも皆様の人生のお役にも立てればと強く思う。

幸せはすぐそこにあるかの如く、新しい発見を胸に抱いており私筆者自ら、甚だ楽しみはであるのだ。

拙い文章で甚だ不徳の致すところではあるが、最大限に頑張って執筆致す所存である。